古書店で2009/09/15

横浜のギャラリーを覗いた後、街をぶらついていて「古書店」の小さな看板が目にはいった。 ビルの間の細い急な階段を登った2階らしい。躊躇いながらも古書の誘惑には勝てず入ってみた。 入口わきのカウンターに若い女性が本を読んでいるほかは人は居ず本に埋まっている。普通の古本屋では見られない懐かしい年代の本に溢れていた。じっくり見たかったが生憎時間がない。 
昭和51年発行「別冊 歴史読本 歴代天皇百二十四代」の天皇の始まりの諸説に興味ひかれ¥300で買った。 黄ばんで見かけの汚い本だ。
レジで尋ねた。
「戦前の本はありませんか?」
「どのようなジャンルですか?」
「例えば児童文学のたぐい」
「無理ですね」
時代の移り変わりの速いことを実感した。 昭和51年なんてつい先頃のことではないか。私の中で古書と言うのは少なくとも戦前の旧仮名遣いの、標題が右から書かれたものだ。

物心ついて初めて慣れ親しんだ本、思春期までに読みふけった生硬な訳の難しい漢字や言い回しの本をむさぼるように読んだのが懐かしい。 結婚で実家に置いてきたり、転居で失われてしまった。

名作は今も新しく出版されているが意訳で日本語としては立派だが釈然としない思い、原語で読めればいいのだが。

それに関連して強く思うことは名作を子供向けにダイジェストしないでほしい。 原作を初めて読むときの感動を奪わないで欲しい!
「小鹿物語」「ガリバー旅行記」「レミゼラブル」「モンテクリスト伯」など数えあげればきりがないが最初に全文を読んでこその感動、面白さを奪わないでと言いたい。

最近怒ったのは私の大好きなアガサ・クリスティのアニメ化だ。原作を読む前に結末を明かしてしまうとは!
そんな話をすると若い子にいわれた。 今の人たち、アガサ・クリスティて名前も殆ど知らないよ。

うん~  いつの時代も繰り返される時代のギャップかなあ。

古書店で本の洪水に溺れながらいろいろのことを考えた。

ブログを始めて2009/09/17

テーマも絞れないまま手探りで始めたブログだが考えていたより楽しい。 時々最初から読み返してみるといろんなことが思い出されて、やっぱり自分のための気儘勝手な記録だなと思う。
こんなブログを読んでくださる方がいてくださるなんて思いもしなかったのに朝覗いたらアクセスランキング8位! 見間違いじゃないかと何度も確かめました。 嬉しかった!!
こんなの奇跡だ。 明日は1000位さがってるだろうけど読んでくださる皆さま、ほんとうに感謝です。

さて今日は(もう17日に日付が変わったけど)鳩山新内閣のことでテレビに釘付けだった。

人って立場で顔つきまで変わる。頼りないぼんぼん(失礼)のように思っていた鳩山さんが頼もしく好感度があがった。
私はずーっと保守系支持ではないけど政権交代には期待する。日本の官僚は優秀な方が多いと思うが長年同じ体制では淀んできてるだう。政治家がもっと主導権を持ってほしいと考えていた。

若いころ地方公務員を短期間やった私の経験はもう時代が違うだろうが税金の無駄使いなんてあまり変わってないように見える。
難問山積みで大変だろうが若い世代が将来に希望が持てるよう頑張ってほしい。

報道陣2009/09/18

保釈で出てくる女優さんを待ち構える報道陣の数の多さと物々しい雰囲気をここ数日テレビで見た。 ほんの数分の姿を撮影するために何日も待ち構えているなんて大変な仕事だなと思う。

先日同じような事件で保釈された俳優さんが実家のあるマンションに帰宅した時の騒動を知人から聞いていた。
夜、横の道路にパトカーが止まっていて変だなと思ったがマンションは玄関の様子など見えないし、殆ど個人的な付き合いはない。 隣は何をする人ぞ 状態。 翌日のテレビを見て吃驚したそうだ。 マンションの敷地内は侵入禁止だからそれらしい人が入ってくると管理人さんがいない時間でも誰かが警察に通報してパトカーがかけつける。 駐在所が100メートルほどの近くにあるから速い。

道路の向こう側に車が並び道路わきにたむろして見張ってる報道陣をベランダから見るとこの政局時期に何でそうまでしてと思ったそうだ。本人のことはさて置いて実家のご両親はさぞ肩身の狭い辛い思いをされてるだろうと、お顔は知らないけれど一つ屋根の下に住んでいるのだからお気の毒だと思うし、マンションの住人はお互いあまりそのことに触れずにいたそうだ。 ただマンションの平穏を守る意識の強いことはパトカーが何回も呼ばれていることで察しられる。
聞いてるとなんだか報道陣のほうが悪者にされてるようで可笑しかった。
大変ですねぇ。 報道する方々も。
一週間ほどで段々人数も少なくなり今は誰もいなくなってチョッと淋しくなったよ だって。

昭和初期のお彼岸の思い出2009/09/19

母は熱心なクリスチャンだったが伝統的な行事には熱心でお彼岸は「おはぎ」の日だった。
小豆を茹でる匂いで目が覚める! 飛び起きて台所に駆けつけると母とねえや(お手伝いさんの関西での呼称)が大奮闘している。
大釜にご飯がいっぱい炊きあがっている。餅米は混ざっていたのだろうか? 子どもだった私は知らない。
前晩から水につけておいた小豆が大鍋で茹でられよい薫りが満ちている。 茹で上がった小豆は晒し木綿で造った大きな袋に入れて揉みながら絞りあげる。 袋の中には小豆の皮だけが残る仕組みだ。漉した茹で汁の方を大鍋で掻き混ぜながら煮詰める。砂糖を加え焦がさないように混ぜて仕上げるのは力と経験が要る仕事だ。
お釜の中でご飯を擂り粉木で何度も付いてから丸めて並べて置き、小豆の餡を適量、掌に広げて丸めたご飯を載せ餡で包み両手でころころと形を整える。
出来上がった「おはぎ」が大皿に並べられていく光景はお彼岸の度に繰り返され、こども達はわくわくしながら眺めた。

或る年、田舎の高等小学校出たばかりのねえやが餡作りは初めてで袋から絞った茹で汁を捨ててしまったそうだ。袋の中身のほうが大事と思ったらしい。母は慌てただろう、でもそんなことで叱る母じゃない。教え方が至らなかったと自分を責めたと思う。我が家では、おはぎ作りの度に語られる笑い話になった。

「おはぎ」は小豆餡の他に、餡をご飯でくるみ外にきな粉をまぶしたのや、きな粉の代わりに黒ごまを摺り潰したのをまぶしたのが作られた。
いっぱい作られた「おはぎ」は一部、幾つかの重箱に詰めてご近所や知人宅に届けていたようだ。
その日のお昼ご飯は「おはぎ」に決まっていた。卓袱台の上に並べられた白い洋皿に小豆餡のが3個ときな粉と黒胡麻のが1個ずつ盛られていた情景が今でも目に浮かぶ。

戦争で耐乏生活の中で夢のようにその頃を懐かしんだものだ。
今朝は近くのスーパーで「おはぎ」のパック詰めを見ながら遠い昔の子どもの頃の情景を思いだした。

「まだ 生きている」 佐藤愛子さん!2009/09/20

最近、ふと佐藤愛子さんの新著見ないけどどうしてられるかなぁ と思った。
その翌日、新調した眼鏡を受け取りに行ったお店の隣の本屋を覗いたら一番目立つ場所に彼女の文庫本が平積みされてる!
「まだ 生きてる」の標題が自分向かってに言われたみたいでドキッとしたけど嬉しかった。
文春文庫、530円で直購入、帰りの電車の中で読む。
今度の眼鏡は遠近両用だからそのまま読める! やっぱりこの眼鏡にしたのは正解だった。

彼女のユーモアと毒舌は健在で年齢を感じることが率直に書かれている。 4年先輩だから今同感して頷くことと、4年先にはこういう心境になるのかなと思うことが交錯する。
まあ エライ方だから比較するのは不遜だろう。

先輩と書いたのは女学校の先輩だからだ。 当時の5年制の女学校では1年間、彼女の姿を見ただけ、1年生にとって5年生は雲の上の存在だ。 遠くから眺めていただけで私のことなどご存じの筈はない。
が彼女存在感は大きかった。
今でもはっきり覚えている。 生徒が自主制作した発表会では男役で颯爽と輝いていて宝塚のスターなみだった。

それで作家になられてからのご本は殆ど読んでいる。 登場人物に心当たりがあったりして楽しかった。
「血脈」は同世代の空気が痛いほど迫り、幼いころから親しんだ佐藤紅緑、サトウハチローの実像に触れなんとも言えない感慨があった。

1年間だけ同じ校舎にいたというだけなのに、あれから70年経ると同士という感じが有る。
4年先輩のエッセイに元気づけられた。