82歳の後悔2009/09/24

女学校のクラス会に20名が集まった。
関西から10人、東京在住者が10名。 凄いと思う。
料亭で会食の後はホテル内の喫茶室でコーヒーを、夕暮れになって
2階建ての屋根なしのバスで都内観光をした。
その間、相手を換えておしゃべりしっぱなしだった。
歳を重ねるほどに本音でいろんなことが話せるようになってきて幼友達は貴重な存在だと痛感した。

観光バスを待ちながら或る友から卒業後、5年間東京で学生生活を送った時のことを聞いた。 焼け野原で物騒だった東京で一人暮らしすることに猛反対した両親を説得したそうだ。
食料がないから下宿先の自家菜園を手伝いながら猛勉強したという。 私って点取り虫だったのよ。反対押し切って上京したのだものね。
苦しかったけど同じ上野の芸大生との交流は楽しかったと言う。
彼女は音大を首席で卒業したお陰で未来が開け、何年か後にはニューヨークに行き勉強しながら家族連れの駐在員の子弟にピアノを教えて滞在費をまかなったと。

私は直接には初めて話を聞き、
「あなたって凄いよね!」
「女学生の時にもそんなに勉強してたんだぁ。 知らなかった」
とただ感嘆するばかりだった。

通信簿のないことをいいことに好きなことだけに没頭し遊んでいた私、先生は東京の理科系の学校への進学を勧めてくださったのに
「東京は物騒だから。それにうちの女の子はエラクならなくていい」
の父の一言で引き下がった私、
「医者になりたい」
という希望も
「女医の地位は低いから」
と父に言われてこれもひっこめた。
勉強してなかったから自信がなかったのも事実だ。
結局は親が選んだ学校に進み、
「3年間 遊んでくればいいよ」
の父の言葉通りに戦後の1年半は歌舞伎や映画にハマりこんでいた。

この違いは大きい!
無論才能の違いもあるが、若いときに真面目に真剣に勉強すべきだった! 好きなことでいいからプロになれるようにまで取り組むことの大切さを今思う。
逃げてばかりいた人生だなと今日は反省した。

会食の時隣で話した友は中年で良い味わいのミステリーを書いていて去年出版され私も貰った。
皆それぞれに努力してきて今が有る。

楽しい語らいのなかでいろいろ教えられ考えさせられた半日だった。