昭和も遠く〜2021/01/24

半藤一利さんが亡くなられて、その追悼記事を保坂正康さんが新聞に書かれていた。

私が育った昭和の真実が知りたくて、お二方の著書はいろいろ讀んだのに、度かさなる引っ越しで、手元には2〜3冊しか見付からない。
それを、ここ数日、複雑な思いで読み返している。

だんだん昭和初期から開戦、敗戦、占領下のことを経験した人は少なくなる。
それに、私など記憶力低下で危ないなって独りで苦笑してしまう。

育った地域や環境で感じたこともイロイロだと思う。
ま 自分のためだけに秘かに自分史と父母、兄姉の想い出も書いて懐かしみたいと思うこの頃です。

コメント

_ カーリー ― 2021/01/25 02:15

難しい本を読んでいらっしゃるのですね。こういう本がある事自体知りませんでした。理解できるかどうかわかりませんが、図書館で探してみたいと思います。

_ 美海 ― 2021/01/26 23:14

カーリーさん
自分が過ごしてきた昭和の実情を知りたい気持ちが強いです。
ごく一部の、限られてことしか知らないできましたから〜
題名は難しそうですが平易に書かれてました。

_ keiko ― 2021/01/27 16:16

小学1年生の時終戦、はっきり記憶にあり、沖縄で戦死した父と残された6人の兄姉はどう生きて行こうかと母は大変な苦労をしたこと、今の世間では通じませんが、美海さんもそれなりのご苦労なさったことでしょう、娘に話をしても信じてもらえません、食べるものがないということは子供でも苦しい思いでした。

_ 美海 ― 2021/01/27 22:38

keikoさん
辛いご経験をされたのですね。
終戦時、私は18歳で同志社女専の2年生で母の病気の看護の名目で家に帰っていたときでした。
前年に父が琵琶湖畔の病院に転勤になって、阪神間の家を引き払ってすぐに、もと居た家は戦災で一帯は焼け野原に〜
恵まれたほうだったと思いますが、いろいろ大変でした。
経験されなかった方々には解って貰えないと思います。
その後の人生でいろいろ有ってもあの時よりマシなんて〜

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