少し遠出して2020/11/08

閉じ篭っていると、部屋のアチコチが気になって、配置替えや、不要品の始末などでキリがない。

まだ少し残ってるが、大体の目処がついて、今日は久し振りに少し遠いストアまで買い物に。

ともかく、歩かないと駄目になりそうで 焦ってしまう。
街なかで行き交うのは車ばかり、要心してその度に立ち止まってやり過ごす。

ま 人生、予想外のことも多いけど、責任無い身になって自分の事だけ考えてればイイのだものと、安穏な生活に感謝しなくては〜

ストアに近づくと、赤ちゃんを自転車の後ろに乗せて走ってられる若い方々とも、擦れ違う。
たくましくて、美しいナと思いながら見るが、私も遠い昔には通ってきた道と懐かしい気持ちにもなる。

でも総てが昔とは、様変わり。
あの頃は、スマホなんて無かったもの。

ま 何とか無事に帰宅。
5000余り歩けたけれど、午後はゆっくりお昼寝。
さぁ 明日からは、医院の予約もあって忙しくなりそうです。

添付写真は、帰り道で見かけた柿の実が懐かしくて〜

恐がり2020/11/11

日の暮れるのが早くなった。
歯科医院で前回に決められた予約の4時半、気にもしてなかったが、当日になって、もう暗くなる時刻と気付いて後悔した。
戦時中のトラウマが消えなくて、夜の独り歩きは苦手だ。
まったくう 笑われそう〜

関東は、日暮れが早い気もする。
現に、関西に転勤になった知人が
「日暮れが遅くて、いつまでも太陽が照ってて落ち着かない」
ってコボしてたのを思い出した。

東京に夫の転勤で移住して、60年経つのにと独り苦笑だ。
街の真ん中だもの大丈夫と、自分に言い聞かせながら、それでも少し早めに出かけたら、すぐに診て戴けて、薄暗いうちに帰宅出来てホッとした。

次回の予約は、バッチリ午後の早い時刻にして戴きました。

何だか、今週は落ち着かない日が続いて、ブログも怠けてしまった。

気持ちを切り替えようと、今朝は公園まで足慣らしに出掛けたら、樹々も一段と秋めいて と言うより冬近しって感じに。

今年も残り少なくなってきた実感が湧いてきました。
まだまだ遣るべきことがイッパイ。 明日から頑張ろう。

添付写真は、今日の公園の樹々。

変化に乏しい日々2020/11/13

変化の無い日々が続く。

せめて写生しようと、お隣の花屋さんで小さなパンジーの鉢植えを買ってきたのに、描けないままに2日過ぎて、お花が萎まないかと心配になる。

ま 片付けもヤット目処がついたから、そろそろ次の段階に進めそう〜

窓から見える晴れわたった青空に魅かれて、モミジ探索にでかけた。
確か有った筈と思っていた場所には見当たらなくて残念。
ま 歩数計の5000の数字に慰められた。

TVでは全国の名所が観られるけれど、やっぱりナマで味わいたくなります。
ま 来年まで元気でいられるようにガンバロウ。

さあ 明日からは 次の段階に〜

添付写真は、未だ描けないでいるパンジーです。

パソコンも古くなって2020/11/16

パソコンの具合が悪くて、思うように操作出来なくて2日も、ブログを休んでしまった。
11年も経つのだもの、私と同様の老朽化だ。

4年くらい前に新しいMacを購入したのに、絵や写真を補正する慣れたアプリから離れられなくて、しがみついている。

過去に、朝起きたら突然、パソコン画面が真っ白に〜 なんて痛い経験もしてるから、大事なものは外付けハードディスクにも保管してるのだけど。

そろそろ 年賀状のシーズン。
こちらはWindowsのノートパソコンに頼ってるが、普段は使ってないから、心配だ。

ま 何とかなるでしょう。
ブログをさぼった言い訳です。

添付写真は、今日の落日に魅せられて。

昭和に生まれて(17)2020/11/18

小学6年生になって

小学校の6年間は楽しい思い出ばかりだ。
庶民の生活に、まだ戦争の影響は余り感じられず、父は休日にはゴルフに。
母は社交家で殆ど家に居なかった。

末っ子は誰にも構われない分、自由に友達の家を回って、遊び回って勉強もロクにしなかった。
でもスゴく社会勉強にはなったと思う。

戦前は、今では考えられないような格差社会で、クラスメイトの家々に遊びに行って感じる事は多かった。
小学校に上がるまで独りでこもって本ばかり讀んでいたから、何もかもが珍しくてパレアナになったような気分に〜

6年生になると、伊勢神宮に一泊の旅行に。

仲良しのクラスメイトが、健康優良児日本一に選ばれて、新聞記者が詰めかけ、彼女を囲んでバンザイしてる写真が記事になったり。

楽しいことも多かったが、女学校の入試も控えてる。
受験勉強が始った頃に突然、文部省の通達で入試は面接のみとなった。
途端に、勉強そっちのけで面接の練習ばかりになった。

受験の準備が始まった頃に、格差社会の現実をまた痛感させられた。
一緒に仲良く遊んだクラスメイトの進路がマチマチだ。
何だか淋しかった。

女学校に行かず、小学校に付属していた高等科に進む子も。
本当に世間知らずの子どもだった。

私は、母が当然のように姉の通った女学校に決めていた。

3月の始め頃、入試で女学校に。
廊下の椅子で待ってる間は緊張した。
名前を呼ばれて、教室のドアを教わった通りに静かに開ける。

中に入ると、教室の中央の机の向こうに4〜5人の先生方が〜
椅子に腰かけて顔をあげると、何時も我が家に遊びに見えてた先生のお顔も見えてホッと。

「徹夜しないと出来ないくらい宿題が出たらどうする?」
想定外の質問に、思わず本音が出てしまった。
「適当な時間に切り上げて休みます」
言った途端にシマッタと後悔したがモウ遅い。

「どうして?」
無い知恵を巡らした。
「お国のために大事な身体ですから」
と心にもない言い訳を。 
そう来たかって感じで、含み笑いされて、もう恥ずかしくて。

それでも無事に合格出来ました。

小学校の6年間は楽しい想い出がいっぱいで、あれから80年余り経つのに、忘れられません。

添付写真は、小学6年生の時に仲の良かったクラスメイトがお父様の転勤で上海に行くことになって写真館で。
右から二人目が主人公。 肩に手をかけてるのが健康優良児日本一になった子。 私は一番右でヘンに写ってて恥ずかしいです。
着ている紺のスモックは当時の小学生の制服のようなモノでした。
胸には名札をぶら下げて。