昭和に生まれて(17)2020/11/18

小学6年生になって

小学校の6年間は楽しい思い出ばかりだ。
庶民の生活に、まだ戦争の影響は余り感じられず、父は休日にはゴルフに。
母は社交家で殆ど家に居なかった。

末っ子は誰にも構われない分、自由に友達の家を回って、遊び回って勉強もロクにしなかった。
でもスゴく社会勉強にはなったと思う。

戦前は、今では考えられないような格差社会で、クラスメイトの家々に遊びに行って感じる事は多かった。
小学校に上がるまで独りでこもって本ばかり讀んでいたから、何もかもが珍しくてパレアナになったような気分に〜

6年生になると、伊勢神宮に一泊の旅行に。

仲良しのクラスメイトが、健康優良児日本一に選ばれて、新聞記者が詰めかけ、彼女を囲んでバンザイしてる写真が記事になったり。

楽しいことも多かったが、女学校の入試も控えてる。
受験勉強が始った頃に突然、文部省の通達で入試は面接のみとなった。
途端に、勉強そっちのけで面接の練習ばかりになった。

受験の準備が始まった頃に、格差社会の現実をまた痛感させられた。
一緒に仲良く遊んだクラスメイトの進路がマチマチだ。
何だか淋しかった。

女学校に行かず、小学校に付属していた高等科に進む子も。
本当に世間知らずの子どもだった。

私は、母が当然のように姉の通った女学校に決めていた。

3月の始め頃、入試で女学校に。
廊下の椅子で待ってる間は緊張した。
名前を呼ばれて、教室のドアを教わった通りに静かに開ける。

中に入ると、教室の中央の机の向こうに4〜5人の先生方が〜
椅子に腰かけて顔をあげると、何時も我が家に遊びに見えてた先生のお顔も見えてホッと。

「徹夜しないと出来ないくらい宿題が出たらどうする?」
想定外の質問に、思わず本音が出てしまった。
「適当な時間に切り上げて休みます」
言った途端にシマッタと後悔したがモウ遅い。

「どうして?」
無い知恵を巡らした。
「お国のために大事な身体ですから」
と心にもない言い訳を。 
そう来たかって感じで、含み笑いされて、もう恥ずかしくて。

それでも無事に合格出来ました。

小学校の6年間は楽しい想い出がいっぱいで、あれから80年余り経つのに、忘れられません。

添付写真は、小学6年生の時に仲の良かったクラスメイトがお父様の転勤で上海に行くことになって写真館で。
右から二人目が主人公。 肩に手をかけてるのが健康優良児日本一になった子。 私は一番右でヘンに写ってて恥ずかしいです。
着ている紺のスモックは当時の小学生の制服のようなモノでした。
胸には名札をぶら下げて。

コメント

_ カーリー ― 2020/11/19 00:33

皆さん、とても聡明そうなお嬢さん方。良き子供時代を過ごされたようですね。母も言ってました。家の前を餅屋が「餅やー、餅やー」と売りに来たり、猿回しがやって来て、庭で芸を見せたりとか。もっといろんな話を聞いておけばよかったのにと思います。

_ 美海 ― 2020/11/19 21:51

カーリーさん
戦前の小学校生活も楽しかったです。
お母さまの思い出話を伺いたかったです。
自家用車なんて持ってる家は少なかったし、市場は住宅街からは遠くて、物売りとご用聞きさんが自転車で走り回ってました。

_ イノリン ― 2020/11/20 17:40

ご無沙汰しております。

中学受験されたのですね。
母も姉が通っていたからと、白百合を小2で編入させられました。
絵日記でもお分かりの通り、小学校は楽しかったようです。高校になると戦争がひどくなってきて、バタバタと高2で卒業させられたと悔しそうに言ってましたね。

それにしても面接で咄嗟によく言葉が出ましたね。しっかりしたお嬢さんだったのでしょうね。

_ 美海 ― 2020/11/22 18:01

イノリンさん ようこそ!
私の受験した昭和初期(戦前)は女子は女学校(5年制)でした。
3年くらいして学制が変った記憶?
運転免許も結婚後スグに取得されたって伺いましたから、私は古いです。
パソコンがオカシくなって、楽しみに拝見してた絵日記が見られなくなって御免なさい。
じっくり探してみます。

私の子ども時代って遊んでばかりでヒドいものでした。
ただ 楽しかった思い出だけはイッパイです。

_ 久美子 ― 2020/11/26 23:45

健康優良児「日本一」ってすごいですね!
なるほどのびのび健やかに育たれた印象のお嬢さんです。

面接の時の機転の利いた回答、さすが美海さん。
栴檀は双葉より芳しです。

うちの母は女学校の面接で「海ゆかば」の意味を聞かれたのを覚えていると言っていました。
美海さんのお答えと言い、時代を感じますね。

同じく母親(私の祖母)が社交好きで、お稽古事も知人から紹介されたからと「来週からあそこに習いに行きなさい」「ここも行きなさい」「そっちは辞めて今度はこちらに」と振り回されたと。
そしてその先にはお見合いが仕組まれていたようです。

女学校も「ご近所に開校したのでヨシミで」と、長女に続いて自動的に次女・三女と通学したそうです。

母にとっても阪神間で過ごした娘時代が、戦争に彩られていたとはいえ、一番良い時代だったのではないでしょうか?

_ 美海 ― 2020/11/27 22:17

久美子さん
健康優良児日本一になった友達は、勉強も運動もヨクできて何時も級長でした。
一番の親友でしたが有名になると注目され苦労も有るのを垣間見て同情もしました。

面接の回答は、ほんと苦し紛れ。
ヨク合格したなと思います。
私の母も社交好きで、バレー、ピアノ、お習字、日本舞踊などなど習わされたけれど身に付かなかったです。
あのころの阪神間の風習だったかも。

歳頃になればお見合い写真が、親類や知人から〜
私など、そのお陰で結婚出来ました。
男性は、みな友達感覚でしたから。

お母さまと同じ!
私も阪神間での生活が一番好きでした。

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