昭和に生まれて(12)2020/08/12

 夏休み

戦前の小学校の夏休みは8月1日から31日まで。 
8月イコール夏休み!
楽しかったなあ。 一日中好きに自由に遊べるんだ。 
あの頃一ヶ月って永遠に近いくらい長いと思っていた。

宿題は「夏の友」だったかな、毎日の天気を書く欄が有ったり問題を毎日勉強する薄い冊子と絵日記と自由工作くらい。
真面目な子は、毎朝チャンとやってたらしいが、
私は「今しなくてもまだまだお休みは続くんだから」と〜 

楽しい日は、あっというまに飛び去る、
気が付けば月末になっており、31日には切羽詰まって、それでも9月1日は始業式だけだし宿題を提出するのは2日だからと最後まで粘っていた。

その頃の親って放任主義、良く言えば子どもの自主性を尊重してくれて、時たま「宿題ちゃんとしてる?」「うん」それだけ。

怠けた分は自分で何とかしないといけないから最後には苦労したけど思いっきり自由を楽しめた夏の一ヶ月は本当に良かった。
本もいっぱい読めた。 好きな昆虫ともいっぱい遊べた。

今の様に家族旅行の習慣はなかったが、父の本家が岡山の山奥に有って遊びに行くのが楽しみだった。

本家だが祖父も伯父も私の生まれる前に亡くなって広い家に伯母と従兄だけが、ひっそり暮らしていた。
祖父は普請道楽だったそうで、2階の座敷は凝っていた。
夜、座敷の天井を見上げると子供ながらに天井板が立派だと思った。 
今思うと山国のせいもあったかも。

駅から歩いた道から見えた家々も黒光りのした瓦葺だったから豊かな田舎だったのかもしれない。

父の生家は、農家でも商家でもなかった。 
持ち山に先祖代々の墓所が有って帰省するとお墓参りに行く。
母に連れられて幼い時から教会に馴染んでいたから、お盆の行事が珍しかった。 

小学1年生の私は、初めての田舎の何もかもが珍しく楽しくて一人で野山を歩き回っていた。 
広い土間に井戸が有り、土間の片隅のお風呂にくみ上げた水を手桶で運び、お風呂には電気がなくてランプが置いてある。 

そもそも座敷の電気も暗くならないと点かない! 
夜、お手洗いには真っ暗ななかを行く。

私はワクワクすることばかり、伯母さんは可愛がってくださるし、1週間くらいだったと思うが、あっという間に日が経った。

兄は従兄と前の川で水遊びや魚やサンショウウオまで捕って楽しかったようだが、都会好きの姉はもう行かないとあとでこぼしていた。

田舎の自然が大好きになって、3年後の夏休みには私一人で遊びに行った。 
あの汽車が、また良かった! 
トンネルに入る時、出る時の汽笛! 車内は煙でモウモウ〜
山や畑ばかりの景色も美しかったなあ。

流れ去った、80数年の歳月の変化に感慨ひとしおです。

添付写真は、中学生になったばかりの兄と裏山で昆虫採集をした折の写真が珍しく残ってて。

やっと2020/08/14

今週中にと決めたシュウカツを意識した整理も、何とか九分まで。
来週からは、ブログも読書もウオーキングもと楽しみにしてる。

でも この暑さ! 
涼しい場所と時刻を選ばないと外歩きはムリかも〜
迷惑は掛けられないもの。

整理しながら、昔の書類や書き散らしたモノに、つい想い出に耽ってしまうが、詳しい内容を忘れてることも多い。
子どもの頃、夢中で読んだ本を、ジックリと読み返したくなった。

大好きだった本は、取って置くべきだったと後悔する。
旧仮名遣いの「世界文学全集」が懐かしい。
珍しく、買ってもらった
 一歳仔「イアリング」 大久保康雄訳
青い表紙の分厚い本で、嬉しくて何度も読み返した。
小学生だったと記憶してるのに、今調べたら昭和15年初版で、青い表紙の写真も微妙に違う。

戦災で、失われたものは多いと今回も実感させられた。

今日は終戦の日の前日。いろいろな想い出が脳裏をよぎります。

添付写真は、夏空の子犬のような雲。
外出も出来なくて空ばかり眺めてます。

終戦から75年2020/08/15

あの日から75年が経った。

あの暑い日に、離れに疎開して来られてたご夫婦と一緒に、庭に置いたラジオを囲んで玉音放送を聞いた。

その時の思い出を、私がこのブログを始めた年から何度か書いている。
今、全部読み返していたらこんな時刻に〜。

添付写真は、今日の落日を見ながら終戦の日の象徴のように思われて。
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「2009/8/15のブログより」

昭和20年8月15日は長い長い戦争が終わった日。
昭和6年 満州事変勃発。
昭和12年 盧溝橋事件。日中戦争始まる。 南京占領。
昭和14年 第2次世界大戦勃発(独軍ポーランド侵攻)
昭和16年 太平洋戦争始まる。
昭和20年 日本敗戦

昭和16年12月8日の真珠湾攻撃から敗戦までの4年間は崖を転げ落ちるように食料はじめすべてが無くなり学徒出陣、学徒動員などで勉強どころではなくなる。 

前線は転進、玉砕、特攻隊に並行して容赦ない本土爆撃が始まりついにヒロシマ、ナガサキだ。
明日に希望を持てるはずもなく、ぼんやり死を覚悟していた。

そんななかで迎えた8月15日、玉音放送は雑音でほとんど聞き取れなかったが姉がポツンと「戦争終わったんと違う」と言ったが皆半信半疑だった。

照りつける日差しの中蝉がやかましく鳴いていた。

何時間かして隣組を通じて詳細が判った。
負けた今後の不安より「生き残った」の気持ちのほうが強かった。

夜になって何事にも積極的だった姉が「これもう取っていいんじゃない?」と言って電灯の黒いカヴァーをはずし、窓の暗幕も明けた。

空襲に備えて厳しい灯火管制を強いられてきていたのが、いっぺんに明るくなった。眩しかった。
戦争がほんとうに終わったのだと実感した一瞬だった。

私の敗戦記念日はこんな日だった。 
あのとき一緒だった父母も姉も一緒に玉音放送を聴いた隣人も皆亡くなってしまった。

弱気になって2020/08/17

気になってTVのニュースから目が離せない。

終戦前後の8月と、つい比べてしまうが、感染された方々のことを思い、明日は我が身と恥ずかしいくらい要心してしまう。

片付けも一段落、未だするべきことはイロイロ計画してるけど〜。
この暑さで、外歩きも出来ないと、流石に少々ウツ気味になる。
ま 守って頂きながら、贅沢な悩みです。

明日から、気分一新して、アレコレ遣りたいと思ってたことに挑戦しよう。

レスも失礼しててごめんなさい。
誰とも話せないこの時期、ブログの交流の有難さを痛感して、感謝です。

今日は泣き言になってしまって、恥ずかしいです。

当分、「昭和に〜」の続きを書きたいし 画も〜
「不言実行」の文字が頭をよぎります。

物好きに2020/08/18

今日は、気になっていた家計簿の再整理を。
専業主婦で家計を預かってた時は、責任感から几帳面につけていた。
市販の家計簿には馴染めず、自己流の仕分で、全部手書きで作ってたものだ。

引っ越しの時に、もう全部整理してしまったが、独り生活を初めて久し振りに再開。

昔から数字は好きだったから、結構面白い。
今は電子アプリが便利だから、現金買いのものだけ記入すれば良いから楽だ。

ただ一ヶ月分を、ノートに大まかに分類して総計を記録すると、今の生活状態が解って参考になる。
若い時は、少ない給料から将来の年金の積み立てを天引きされたのが辛かったけれど、今になると有難い。

私の余生に、足りるかな なんて考えても仕方ない。
今、出来る楽しみを追い求めよう。

そろそろ 近くの図書館に行っても大丈夫かしら〜

添付写真は、相変わらず昔の画集からです。