12月8日に2019/12/08

今日は 12月8日
未だに この日は私には特別な日。

昭和16年、今年も無事に終わるかと思っていたのに早朝のラジオの緊迫した放送に驚愕が走る。
私は女学校の2年生だった。

あの日のことは、ブログを始めた年の2009年12月8日に書いている。

敗戦で終った昭和20年8月15日には女専の2年生になっていたが、その間いろいろ有ったな。
華々しい戦果の報道から一変して空爆に怯え、物資欠乏、近親者の死、兄の出征、疎開、学徒動員で軍需工場での深夜業 etc.

あれから80年近い年月が経って、思い出を共有する親族も居ない。
独りで、ただただ 人類の平和を愚鈍に願うのみです。

コメント

_ アスカ ― 2019/12/09 08:02

この日は、覚えています。国民学校入学の直前でした。
 今日の画面の富士山は美しいです。薬大の校庭から、毎日仰ぎ見ていました。あのような富士山を毎日見れる大学は他に無いと思います。富士山にかかっている雲の状態で。翌日の天候が判断できるようになりました。

_ カーリー ― 2019/12/09 12:23

素敵な富士山ですね。私も12月8日の夕方、夕陽に映える素晴らしい富士山を見ました。出先から帰る駅のホームからです。あっという間に暗くなり、すぐに見えなくなりましたが、運良くあかねの空に三角のシルエットが映え素晴らしかったです。富士山は何度見ても、見飽きることはなく、見ることが出来たらうれしくなります。

_ 美海 ― 2019/12/09 21:29

アスカさんも、開戦の日をご存知ですのね。
幼くていらっしゃったから、ご苦労なさったでしょう。
美しい富士山を眺められる大学! 素敵!!!
雲の状態で翌日の天候が判るなんて初耳した。

_ 美海 ― 2019/12/09 21:45

カーリーさん
私は関西育ちですから、夫の転勤で東京に来て富士山が見えるのが何より嬉しかったです。

夕日に映える富士山! 素晴らしかったでしょうね!
ほんと 何度観ても その度に感激します。

_ ちーすけ ― 2019/12/10 20:32

美海さん、こんばんは\(^^)/
美海さんのこのブログ、本当に勉強になります。12月8日、ごめんなさい、私にとっては、教科書で習った感覚です。
ですが、美海さんのブログを2009年まで遡って読ませていただくと、本当に何気ない日の朝に、とんでもないニュースが飛び込んできた感じなんですね💦本当に大変な時代を生き抜かれたんですね

うちの父母からも、よく話を聞きました。うちの父母は、幼かったのですが、母は祖父が満州映画会社で働いていたので、満州にいて、終戦直前から、大陸を歩いてわたり、なんとか、日本に帰ってきたそうです。その話も、細かいことを聞いていると、本当に、想像絶する経験をしたんだなーとおもいます💦

その時代の方々が、頑張って、生き抜いてくれたから、今の私たちがいるんだ‼️と、おもいます。

戦争の話は、TVや教科書で見ると、なんだか、遠い話のように感じますが、美海さんのブログで読むと、すごくリアルに感じます。

そして、コメントなさっている方々も、それぞれ、その時代に大変な思いをなさったことでしょう。

こういうお話を、このブログで聞かせていただけるのは、本当にありがたく感じます。

_ 美海 ― 2019/12/10 22:38

ちーすけさん こんばんは(^^)
お若くって羨ましいです!
ブログ遡って見てくださったのですね。
有難うございました。 
あの暗かった時代の経験は一生、忘れられないと思います。
ご両親さまからも、お話しはよく聞かれてらしたのですね。
女専の寮に居たときは大連、ハルピン、上海などから来てる友人が居て、終戦後はご家族が引き揚げて来られるのに大変なご苦労だったと聞きました。
その頃の私は、空襲にも遭わず、兄も無事に帰還して恵まれたほうだったと思います。

いつの時代も大変なことはイッパイだと思うけど、戦争だけは絶対イヤって思いは消えません。
同じような思いをされた方のコメントを伺うと尚更に。

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