昭和に生まれて(6)2019/11/24

ー暖房ー

子どもだった頃の家は寒かった。 エアコンも石油ストーブも知らないから冬は寒いのが当たり前と思っていた。
徒然草じゃないけれど日本家屋は夏涼しいようにの構造だから至って風通しが良い。(寒冷地は別だったと思う)

火鉢が主役だ。 茶の間の長火鉢は両親が向かい合って座る。木製で内側は銅板が張ってあり、灰の中に銅壷(どうこ)が設置され、中の湯でお酒のお燗が出来るように蓋がついていた。

説明するのが面倒になったので下手な絵を描いて添付する。
客間用の火鉢は大きくて山水の絵付けがしてあった。 
手あぶり用は女性客用。 
櫓炬燵は、中の素焼きの容器に真っ赤に熾した炭を埋めて、布団の裾に入れて暖めた。

小さな鉄製の足温器(正式名不詳)は、真っ赤になった炭が3個ほど入れられてて、子ども達が自分の部屋に持って上がり机の下に置いて足を乗せる。
子供部屋に暖房はそれしかないから、頭から毛布を被って本を読んでいた。

幼い時は、寝る時だけ姉兄妹が置き炬燵を真ん中に丁の字に布団を敷いて寝たが、私が小学生になった頃には、自分の部屋で独り寝るようになって湯たんぽを。

湯たんぽって、ブリキ製の亀の甲羅のような形で、熱湯を入れて厚い布製の袋で包み足元に入れて寝たものだけど、もう知らない方のほうが多いでしょうね。

それでも、戦争末期に女専の寮から、学徒動員で工場に通っていた頃は小さな火鉢だけが頼りで、その炭も貴重品だったから、幼かった頃を懐かしんだものだ。

その反動か、戦後に新しい暖房器具が発売されると無理しても〜。
石油ストーブに感激したりして。

添付絵は、ブログを始めた年に古い記憶を辿って描いものです。

コメント

_ アスカ ― 2019/11/25 08:32

書かれていることは、全部解り懐かしく子供の頃、国民学校入学の時代を想いださせて」くれました。
 学校3年生後半からは、名古屋市内も空襲の恐れがあり    S19年12月に、都会を逃げるようにして疎開しました。翌年2月に名古屋市を夜間空襲で空が真っ赤だったことを未だに忘れません。

_ カーリー ― 2019/11/25 11:58

私も昭和の生まれ。どの火鉢も家にありました。こたつは掘りごたつで、練炭炬燵でした。昔はそれで一酸化炭素中毒になって、亡くなった人のニュースを聞くこともありました。湯たんぽも金属製のものでしたね。懐かしいです。最近も湯たんぽで体を温める健康法というので、プラスチック製とか、電気湯たんぽとかいろいろ製品があるようですね。

_ Cakeater ― 2019/11/25 14:33

手あぶりというのは見たことありません。
長火鉢は納屋の奥で埃かぶってたのを覚えてます。
大火鉢は炭ではなく豆練炭を使ってたような記憶があります。
1949年うまれですので、物心ついたころは上つけ練炭コンロが普及してました。
掘りコタツにも練炭が使われていて、行火には豆タンの時代でした。
もっともほとんど同時に石油コンロや石油ストーブも普及しはじめていて、1960年になると、家の暖房としては練炭はなくなって、1964年のオリンピック前後の机の下の行火は電気足温器になってましたね。オリンピック後は台所や、風呂場はガスに変わってたような記憶があります。子ども部屋は電気コタツと足温器と電気ストーブでした。火事の心配ないように、油汚れのないように、一酸化炭素中毒にならないようにというわけですね。
石油コンロという灯油コンロは、いまでも野外の屋根付きのオープンエアの空間では一番で、工事現場の詰所の外とか、葬儀会場の待合ロビーみたいなところでは、ゴーゴーとうなりを立てています。
現在はエアコンのみ。
年取ると、床置きの暖房器具って、じゅうたんにしろ、毛布にしろ、コタツにしろ、ゴロゴロ寝転がってしまうので、極力寝る時以外は寝転がるなが標語です。ノートパソコンとコタツなんかは最高の組み合わせですけど、高齢者の筋力不足、猫背進行、視力退潮の最悪原因です。日本の寝たきり老人の比率がずば抜けて世界最大の原因はそれじゃないかとおもってます。床に物を置くな、落としたらすぐ拾え、寝転ぶな・・・ですね。haha

_ 美海 ― 2019/11/25 23:14

アスカさん
名古屋には昭和18年に姉が名古屋の会社に勤めてる人と結婚したのでよく遊びに行きました。
S19年には赤ちゃんを連れて、滋賀県に居た我々の所に疎開してて戦災を免れましたが、名古屋の惨状は義兄から聞きました。
あの頃は、綱渡りのような人生だったと思います。

_ 美海 ― 2019/11/25 23:31

カーリーさんも、あの時代のこと経験されたのですね。
我が家でも練炭を使ってて、あの穴だらけの形状を懐かしく思い出します。
練炭中毒の悲劇も。
湯たんぽもプラスチックや電気製品になって残っているのですね〜。
知りませんでした。

_ 美海 ― 2019/11/25 23:54

Cakeaterさんが物心つかれた頃は、新しい電気製品などが、次々と売り出された時代ですよね。
私は1950年に結婚して、夫はまだまだ薄給でしたが、無理してTV、石油ストーブ、洗濯機などを買ってくれて嬉しかったです。

電気ごたつは、最近の二度の引っ越しでオサラバ。
畳の部屋が無くなったので。
ただしベッドには昼間から寝ころんでiPadで遊んだりしてますから要注意ですネ。 自戒!

_ くろみつ ― 2019/11/27 23:25

いつも 楽しい 可愛い きれいな 賢い(^。^)
ぶろぐを ありがとうございます。

昭和の暖房。
子どもとして守られていた頃を 懐かしく
思い出しました。

やぐらこたつ 弟と共用で 熱くなると
相手に押しやったのを 感触として
覚えています。

机のしたの足温器も 豆炭か炭で 重ね着を
して勉強をしました。

来客があると 日本画が 描かれた一人用の
手あぶりを お出ししましたね。

今は 好きなように 暖かく出来ますので
有難いです。

お寒さに向かいますので 十分に
お気をつけられて お過ごし下さいね。
大津堅田より ご健康を思っております。

_ 美海 ― 2019/11/29 20:22

くろみつさん
こちらこそ不出来なブログくを見て下さって有難うございます。
くろみつさんもアノ時代のことをよくご存知なのですね、
まだお小さくていらしたと思いますが〜

こういう時代が来るって想像もしてなかったです。
大津堅田! 懐かしいです。
戦争中に移り住んでから,、浮御堂を何回も訪ねました。
雄琴の温泉にも。
琵琶湖には青春の想い出がイッパイです。

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