昭和に生まれて(5)2019/11/18

ー昭和初期の服装髪型ー

昭和5年の正月に撮ったと思われる家族写真を見ると、父親は今と同じような背広、母は着物が主流で、子どもは洋服。

髪型は、女の子はオカッパ、男の子は坊ちゃん刈りと呼ばれていた。
母がパーマを掛けるようになったのは私が小学生になった頃からだったと思う。
無論、後ろで丸く纏めることも無くなった。

男の子は中学生になると、丸刈りを強制された時代だった。
女子は、女学校一年まではオカッパの延長、二年生になった初めて横分けにする子も。
でも大正時代のように長くして括ったり三つ編みにするのはシュウ(ださい)って絶対しなかった。

戦争が激しくなった昭和17、8年頃だったか、女学生の髪型は長く延ばして後ろで括るようにと決められたが誰も守らない。

女学校の4年生になった頃に、
新しい全国統一の制服も指定されたが、新一年生の親もそれを厭がって、全員歴史の有るセーラーがたの制服を整えていた。

女専に入っても髪型の規制は続いてて、時々抜き打ち検査が有ったけれど、先生も「仕方ないわね」って苦笑されながら見逃して下さった。

モンペも強制されたけど、替わりにズボンを作って。
変なところで抵抗したけれど、それを穿いて学徒動員で通った軍需工場では大きな旋盤に向かい、國のためと懸命に徹夜作業したものです。

幼いときの写真から話しが飛躍してしまいました。