昭和に生まれて(1)2019/09/12

昭和2年5月6日の未明に生まれたそうだ。

父母は明治、姉と兄は大正で、自分だけが昭和に生まれたって子供心にもチョッと誇らしかった。
昭和とともに歩んで、振り返ると波瀾万丈だったと思う。

地域差も大きかったが、自分の観て来た事を覚えているうちに書いて置きたくなった。

無論、思い出せるのは2〜3歳になってからのことだけど、数年前に亡き兄の家で大昔の写真を見て懐かしくカメラで撮らせてもらった。

昭和初期は、旧式なカメラも一応有ったが、正月には写真館に行って家族写真を撮るのが恒例だった。
父は背広、子どもは洋服が定着していたが、母の世代の洋装は珍しかったようだ。

私が物心ついてからの記憶より、古めかしく思える。
勘定すると、当時の私は7ヶ月と少しかな。

92年前の写真に、それから歩んで来た人生を思います。

コメント

_ アスカ ― 2019/09/13 08:22

当時の 健全なご家庭の様子が、この写真で解ります。

_ みーみ ― 2019/09/13 09:10

美海さん こんばんは(^_^)??
素晴らしいですね。 お写真がある事。
うちのは なんの記録もありません。貧しい農家ゆえだったのでしょうね.ここまで生きてきて 写真の整理にも悩んでしまいます

今日は ハイキングのツアーに参加しました。棚田を見ながら
少し涼しくなった風で気持ちよかったです
歩きながら落ちていた 栗を失敬したのが 最高だったかな 笑笑

_ カーリー ― 2019/09/13 20:10

立派な家族写真ですね。可愛い赤ちゃんが美海さんですか。亡き母は昭和3年生まれでした。同時代を生きてこられたんだなあと感慨深いですが、全く違った人生を歩んでいるんですよね。

_ 美海 ― 2019/09/14 18:25

アスカさん
当時の普通の中流家庭でした。
特に父に教わる事が多かったです。

_ 美海 ― 2019/09/14 18:51

みーみさん こんばんは(^^)??
当時、神戸が輸入港で外国人も珍しくない土地柄のせいも有ったと思います。
ホント、写真の整理に私も悩んでます(ーー;)
うん 何とかしなくては〜

ハイキングのツアー! いいなぁ(^^V)
湘南の家の庭に有った栗の木が懐かしいです。
栗も拾ってくれて有り難う! でしょう(^^)☆

_ 美海 ― 2019/09/14 19:01

カーリーさん
お母さま、昭和3年のお生まれでいらしたのですね。
カーリーさんを通じて、お話し伺いたかったです。
激動の時代を経てきたのは一緒ですもの。

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