水害の思い出2019/07/04

今日も、しとしとと小雨が。
梅雨だなぁと灰色の空を見上げながら「細雪」にも書かれた阪神大水害のことを思いだした。

そう 明日になれば、あれから81年経つ。
私は魚崎小学校の5年生、姉は甲南女学校の5年生だった。

雨が降り続いてたが私は風邪?で三日ほど学校を休んでて、大水害の有った日は珍しく母が学校まで送ってくれた。

授業が始って暫くして、住吉川が溢れたと言う報が伝わったが、そのまま工作室で、何を作っていたかはもう覚えていない。
休み時間になって廊下に出ると人の動きが慌ただしい。

広い雨天体操場には、避難して来られた方々で溢れていた。
送って来た母が、甲斐甲斐しくお手伝いをしている。
やっと 住吉川の上流で六甲山から流れてきた土石流が溢れて住宅街を襲ったと言う情報を聞く。

小学校は山麓と海の丁度、中間だったから被害はなく、授業もそのまま続いて帰宅の途中に、住吉川の横を歩いたら、朝は橋を越しそうな勢いだった濁流が消えて川底の砂だけが。

我が家は川沿いの海から3軒目だったから何ごとも無かった様に。
TVのない時代で、全容を知ったのは姉と母が帰宅してからだった。
そのことは出来れば明日に。

添付写真は、表で見かけた花を。
何故かこの時期、淡いピンクの花々が多いような気がします。