子供部屋を連想して2018/11/18

昨日あらかた片付けたのに、今日も勢いづいて処分して「もやもや」が減り、私にしてはスッキリと。
松尾たいこさんの「暮らしのもやもや整理術」のご本に感謝でした。

何だか、子どもの頃を思い出す。
小学生になって、個室になった時は嬉しかったな。
勉強机と小さな本棚しかなくて、和室だから押し入れから布団を引きずり出して自分で敷いたものだ。

4年生になって引っ越した住吉川沿いの家は、2階は3部屋しかなくてで、兄妹で話し合って希望の部屋を。
縁側と床の間付きの和室、暗いけれど出窓から裏に続く酒蔵の作業現場が見えた部屋。

私が好きだったのは、狭いけれど板敷きで折りたたみのベッドが置かれた部屋で、窓から見える夕日がダイナミックで美しかった。

今の子供部屋を思うと質素だったけれど、誰からも干渉されないで好きな本がイッパイ讀めた。
8時になると、階下から母の「コーヒーが入ったわよ」の声が。
子供でもお構い無しだった。

土地柄と、その折の自由の風潮のお陰も有ったのかも。
戦争に突入する前の穏やかだった日々でした。

添付写真は、近くまでチョット買い物に出た折に見かけて。
このところ黄色づいています。

コメント

_ くろみつ ― 2018/11/18 23:44

だんだんと ご回復のご様子で
本当に 嬉しく拝見しております。
(^。^)
8痔の コーヒーの お呼びかけを
読みまして 懐かしく 私の家では
母が それぞれに 果物を お皿に
盛り 呼んでもらいました。
神戸に住んでいたので そういう
習わしがあったのかしら。
私は十三生まれです。

社会に出て 住吉の 住吉倶楽部に
行った事も 懐かしく 思い出し
今夜は 二つも 思い出して
心がほっとしました。

季節の変わり目 お身体お大切に
なさって下さいね。
いつも ありがとうございます。







読みまして。
私の子供時代は
8時の果物の呼びかけでした。

_ カーリー ― 2018/11/19 10:40

早くから子供部屋を持てたなんて、すごいですね。コーヒーも、ハイカラなご家庭だったのですね。私も小学生の頃、姉と2階の和室6畳間を子供部屋にしてもらい、真ん中にカーテンを引いて二人で使っていたのを思い出しました。18日(日)久しぶりに秩父の三峰山へハイキングに行って来ました。行きは登りばかり、帰りは下りばかりでとてもしんどかったですが、行って良かったです。

_ みか ― 2018/11/19 11:49

美海さん、いきなりですが、「色黒」ではなく、「白黒」です、すいません、またやっちゃいました、美海さんが言うように、愉しく笑っていきますネ。笑。子供部屋、夕日が見えるなんて、すごい、いいですね。ごろんとした時、空とか、おっ月さんとかが、見えると、うれしいです…。子供の頃、自分の部屋、と言うか、個室、秘密の部屋、とか、すごくほしかったの、覚えてます。それではまた…。おっちょこちょい、より。

_ 美海 ― 2018/11/20 21:13

くろみつさん
お陰さまで、少しずつ良い方に(^^)
今、振り返ると神戸って結構欧米化していた気がします。
十三懐かしいです。(ちゃんと讀める方少ないでしょうね)
あの頃の家庭生活もそれぞれで個性的、想い出も。
住吉は私にとっても本当に懐かしい地です。
時代の変遷はあるでしょうが、同じ地名でつながってるって嬉しいです。

_ 美海 ― 2018/11/20 21:39

カーリーさん
土地柄と、自立を大事にした父の教育方針も有ったのかもしれません。
お姉様と仲の良いご様子が想像されて微笑ましいです!
秩父の三峰山へハイキングされて素晴らしいですね〜☆
私は、夫と富士登山したのが最後かも。

_ 美海 ― 2018/11/20 21:53

みかさん
ご心配なく!
意味は通じてます^^
私など自分のブログを翌日見て、変な、明らかに解る間違い見付けて苦笑しながら頬被りも。

姉は6歳上だから向こうが一緒はイヤ、兄は男の子だから別部屋ってことだったと思います。
でも自分一人の部屋って嬉しかったです。

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