終戦の日2018/08/15

今日も暑い。
昭和20年の8月15日の正午もジリジリと太陽が照りつけ、アブラゼミがじーじーとやかましかった。

疎開を兼ねて、父が琵琶湖畔の病院に転勤していた。
土地の方の別宅をお借りしていたが、京都の町家と同じように細長くて、奥の離れ家に大阪から疎開されて来られた年配のご夫婦と親しく。

隣組から玉音放送の知らせが回って来たときに、
「何か判らへんけど、一緒に聞きましょう」
と誘われて、前庭に出してくださったラジオを囲んで暑い中威儀を正して聞いたが、雑音が酷くて何も解らなかった。

ご主人が
「よう判らへんけど、きばって頑張れってことですかな」
一緒に聞いていた姉だけが遠慮がちに
「戦争が終わったということみたいに〜」

それが真実と判ったのは、暫くしてまた隣組からのお知らせを聞いてだ。

18歳の少女だった私は、心の何処かでホッとして、それが後ろめたくて、その夜の日記に何と書いたのか。
後年、読み返そうとしたら3ページほどが引きちぎられていて、記憶にもなかった。

振り返ると大変な時代、父母に庇護されていたから何とか。

今日、古い写真の整理をしていて、夫の定年後の旅行で広島に行った時の写真に見入りました。
複雑です。
ただ モウ戦争は絶対に無くなって欲しい。
「過ちは二度と繰り返さないで」

コメント

_ アスカ ― 2018/08/16 08:35

広島支店に6年間勤務したので、知己の方々を案内することが、よくありましたが、原爆資料館はあまりにも悲惨でしたので、行くのをためらいました。 この写真のドームだけにしました。

_ 美海 ― 2018/08/16 20:07

アスカさん
夫の定年後、国内をアチコチ旅行しまくりでしたが、
広島だけは特別の想いで。
ホテルについて朝早く、静まりかえっていましたが万感の想いがこみ上げました。
資料館も哀しく辛かったけれど見せていただいてよかったと思っています。
大学で航空工学を専攻して、学業半ばで終戦を迎えた夫は、何だかとても辛そうでした。

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