母の日に2018/05/13

母の日
「母の日」、嬉しいカードが届いた。
GWに誕生日を祝ってもらったばかりだけど、私にとって両方が一緒で5月だ。

それにつけても、自分の母には何もしなかったことが悔まれる。
無論、子どもの頃にはそういう習慣はなかったし、誕生日を祝ってもらうのも子供だけだった。

57歳の、今思えば短い生涯だった。
社交家で華やかなことが好きだった母の期待には添えなかったし、少し批判的に見ていた時期も有ったが未成年の浅はかさだったな。

末っ子だった父の実家の跡継ぎだった伯父二人が若くして亡くなって、親戚一同の世話は父の肩に。
従兄達は代わる代わる我が家に同居して中学校や専門学校に通っていた。
未亡人や独身の伯母さんがたも何かにつけて。

子どもにとっては可愛がって貰える存在だったけれど、母は大変だったと今になって思う。

終戦後、2年も立たないうちに父に先立たれ、疎開先で大変だったと思うのに「未亡人会」を立ち上げたり、趣味でやってきたのを活かして「人形教室」を開いて自立していた。
地方勤務の若い新聞記者さん方とも仲良くなって面倒みたり、楽しそうだった。

2度目の癌がわかって、兄の家にひきとられ、親戚の医師に詰めてもらって最後を迎えたが、手を差し伸べてひとりひとり握って別れを。

義母もそうだったが明治生まれの女性は芯が強かったなと思う。

あれから60年の月日が流れた母の日に、母のことを語りたくなりました。