父の命日2018/03/13

今日は父の命日、昭和22年 私はまだ19歳で女専の卒業式を目直に控えていた。

父の容態が心配で半月程前から帰宅して付き添っていたが、終戦から2年も経たないあの頃は、暖房も不十分、ペニシリンも手に入らない、入院も困難な時代だった。

医師だった父には自分の容態が一番判ってたみたい。
病後の母の代わりに毎日、傍に寝て一緒に過ごせたことがせめてもの慰めだった。
末っ子は親との付き合いは短いもの。

父は変わり者だった私のことを心配して、まだ珍しかったプラネタリュウムや、日曜日には必ず行っていたゴルフ場にもよく連れて行ってくれたものです。

小学生になると、「こどもの科学」や、岩波文庫の「ファーブル昆虫記」シリーズをお土産に買って来てくれて嬉しかったな。
炬燵で向き合って父と話すのが一番の楽しみだった。

19歳での別れはあまりに早過ぎる。
私の将来を心配しながら56歳で亡くなった父に
「90歳まで幸せだったよ 面白かったよ」って。

コメント

_ アスカ ― 2018/03/14 08:18

戦前;戦中で薬が無かった頃でしょう。お若いのに残念だった想い出と推察致します。
 小生は、国民学校入学の正月(S17年)に、四ツ橋のプラネタリウムに父が連れて行ってくれた驚きを覚えています。大叔父が天王寺で歯科医院を開業していた頃です。

_ みーみ ― 2018/03/14 08:48

美海さんこんばんわ(^_^)??
お父さんの命日 しっかり 想いをもって〜過ごされるって 素晴らしい💕💕💕
私も末っ子 一番可愛がられたっと 兄弟は 言うのです 笑
頑固で ケチで 笑 の 父だったようです

今日は 母島に渡り 2時間もかかるのですよ
小笠原諸島で 一番高い 山に登りましたーーーー
島ののんびり ルズムに 浸ってます。
1年ぶりに友にも会えました💕 去年 ネパール一緒でした。
母島で ガイドの仕事をしています

_ プルートパパ ― 2018/03/14 10:18

お優しいお父様だったのですね。
遠い日のことを 思い出されて 懐かしかったですね。

_ Yoko ― 2018/03/14 17:08

短い時間でいらっしゃるけれど、お父様との素晴らしい想い出がおありで、羨ましい!です。
私は、父との最後は18歳の大学受験の前の日でした。65歳で亡くなるまで、ついぞ会うことはありませんでしたが、今思うと、喉頭癌で声の出るうちに会いたいと、親戚を通して言ってきたときに、会って和解をしておけば良かったと・・・。

_ 美海 ― 2018/03/14 21:21

アスカさん
あの頃は父のみならず若い人も色々な病気で早世した時代でした。
今、90歳になって感無量です。

四ツ橋のプラネタリュウムの思い出を伺って、今日のブログに書かせて頂きましたぁ。
お断りしないで御免なさい。
あの時代の同じ思い出に、凄く嬉しかったです。
天王寺も懐かしいです。

_ 美海 ― 2018/03/14 21:30

みーみさん こんばんは(^^)
同じ末っ子で嬉しいナ(^^)v
話しが通じそう。

母島! 小笠原諸島で一番高い山!!
素晴らしいですネ〜(^^)☆
ステキなお友達にも!!!(^^)♪

_ 美海 ― 2018/03/14 21:46

プルートパパさん
幼いときから父だけは対等に扱ってくれて、話しを真面目に聞いてくれました。
早く別れた分、懐かしい想い出が忘れられません。
今は、母のことも懐かしいです。

_ 美海 ― 2018/03/14 22:09

Yokoさん
友人は気の会う人とだけ付き合えるけれど、家族は難しい面も有りますよね。
肉親だって別個の人格、価値観だって人生観だって違って当たり前だと思います。
ご自分だけを責めて後悔なさることはないと私は思うけれど。
Yokoさんはお優しいのだと思います。
よく判らないのに生意気なこと言ってごめんなさい。

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