東日本大震災から7年 ― 2018/03/11
2011年の東日本大震災の事を思い出す。
あれから7年の月日が流れたことに改めて感慨しきりでした。
あの年のブログは2月22日から途切れて、5月27日の再開している。
急性膵炎の激痛で救急車で入院、点滴のみの絶食生活が続いてヤット膵炎が収まって、胆嚢摘出手術が4月22日。
私は眠ってただけだけど5時間かかって、その間に余震も有って大変だったみたい。
本当に感謝です。
3月11日の大地震は、絶食中の病院のベッドで。
若い看護師さんが駆け付けてくださって、ドアに掴まりながら
「大丈夫!ここにいますから」って励ましてくださったことが忘れられません。
退院出来たのは誕生日の翌日の5月7日でした。
マンションの8階の我が家は大揺れで家具などが散乱したしたらしいが、家人が奇麗にしてくれてて、被害は椅子一つだけ。
入院してなかったら怖かったと思う。
あの時、被災されて大事な方々を亡くされたり、未だにもとの生活に戻れない方々のことを思うと本当に胸が痛みます。
今日は、足慣らしに公園までユックリ歩いて満開の梅と桃の花を愛でました。
でも帰りは丁度時刻だったミニバスに二駅乗って。
あれから7年の月日が流れたことに改めて感慨しきりでした。
あの年のブログは2月22日から途切れて、5月27日の再開している。
急性膵炎の激痛で救急車で入院、点滴のみの絶食生活が続いてヤット膵炎が収まって、胆嚢摘出手術が4月22日。
私は眠ってただけだけど5時間かかって、その間に余震も有って大変だったみたい。
本当に感謝です。
3月11日の大地震は、絶食中の病院のベッドで。
若い看護師さんが駆け付けてくださって、ドアに掴まりながら
「大丈夫!ここにいますから」って励ましてくださったことが忘れられません。
退院出来たのは誕生日の翌日の5月7日でした。
マンションの8階の我が家は大揺れで家具などが散乱したしたらしいが、家人が奇麗にしてくれてて、被害は椅子一つだけ。
入院してなかったら怖かったと思う。
あの時、被災されて大事な方々を亡くされたり、未だにもとの生活に戻れない方々のことを思うと本当に胸が痛みます。
今日は、足慣らしに公園までユックリ歩いて満開の梅と桃の花を愛でました。
でも帰りは丁度時刻だったミニバスに二駅乗って。
コメント
_ 千絵 ― 2018/03/14 23:10
_ 美海 ― 2018/03/15 21:55
千絵さん こんばんは。
私も7年も経ったって信じられなくて何度も確かめました。
光陰矢の如し、でもあの時の衝撃は忘れられません。
まだまだ傷は癒えないですよね。
私も7年も経ったって信じられなくて何度も確かめました。
光陰矢の如し、でもあの時の衝撃は忘れられません。
まだまだ傷は癒えないですよね。
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。
ほんとうに、あの日から7年が過ぎたと思うと
何だか信じられないような気持になります。
もう7年、でも、まだ7年。
せめて、忘れないでいようと思います。