川柳から母のことを2016/11/22

母の想い出
昨日の帰り道、雨に濡れたせいか今朝から風邪気味でホームドクターのところに。
明日は医院も休日だもの、持病が有るから酷くならないうちにと。
休養日と決めて大人しくしてたら、もう大丈夫みたいです。

今朝、いつもお邪魔している
「轟亭の小人閑居日記」に、川柳のことを書かれていて、
母のことを思い出した。

私が生まれる前から父母は川柳の句会に参加したり、投稿していたようだ。
巻頭に載るのは母の方が多かったみたい。
 

長じてから讀んだが、母の知らなかった面を垣間みた想いだった。

 次の子の瞳に望みかけて居り
 うちの子が小さく見える入学日

私のことかなと嬉しかった。

 女だから女だからと育てられ

母は大事に育てられたが反発も有ったかも。

 寒空に待ってる程の恋でなし
 さりげなく視線はずしええ月や
 四つ辻で病気の話まだ切れず

師事していた大阪の麻生路郎先生のもとに、父が亡くなってから疎開先の大津で暮らすようになってから何十年振りかで伺うことになる。

 菜の花にむせびながらの近江路や
 夕桜下山の僧にすれちがい

は晩年の句だ。

昭和34年7月30日に57歳の生涯を終えた。

晩年はお若い新聞記者さんがたが何時も遊びに来てくださってサロンみたいに。

その方々が追悼記念の本を出版してくださったのが添付写真です。
表紙は姉が師事していた小出卓二画伯が「堅田の浮御堂」のスケッチを。
お人形は、晩年母が入れ込み、個展や教室を開いたりしていた創作人形です。

川柳から久し振りに母のことを思い出し、沁みじみしました。