入院の日々2015/09/01

病室の窓から
8月22日(土)
夏バテ気味の風邪も大したこと無く元気回復、気分が良くなったのが嬉しくて隣街に出掛けて用事を幾つかハシゴする。
先日撮っMRIの結果もまったく問題なしの報告に紹介状を書いてくださった医院にも報告に。

嬉しい買い物もしてチョット燥ぎすぎてたのかも。
最後の一件を時刻を気にしながら急いでいたら目的地のすぐ近くの5段くらいの階段を降りる時に踏み外したらしい。

転倒した瞬間はかすかに覚えているが、救急車が来たのも病院に運ばれたのも記憶なし。
持ち物から家族に連絡してくれて主治医の先生の診察結果も一緒に聞いてくれて、私もチャンと受け答えしていたそうだが覚えなし。

ICU(集中治療室)で現実と空想が入り交じった夢のような状態からハッキリ意識が目覚めたのは24日(月)午前10時だった。
頭の中の靄が晴れて正常に。
食事も普通食で完食。

夕刻には向かいのHCUの部屋に移動。
重症の方が多いので翌日には普通部屋に。
満床で希望していた個室に入れたのは26日(水)の夕方だった。

白内障の手術の時などは6人部屋で女性同士、合宿気分で楽しかったけれど今回のようなケースでは独りになれてホッとしました。

家人に持って来てもらったiPADとカメラで少しづつ遊び、スマホの充電器も持って来てもらったのでインターネットはこちらで。
自重して殆どは寝て、朝夕長い廊下を歩いて往復。

28日(金)頭の傷口のホチキスをはずす。
連日のCT検査の結果も異常なし。
先生からもう入浴して頭も洗っていいですよと軽く仰られて嬉しい驚きだった。

もう普通の生活に戻って良いとのことだったが独り暮らしだし31日までお世話になりました。

31日の午後、家人があの日に着ていた衣類一式を持って迎えに来てくれた。
イタリア旅行の想い出の帽子も、お気に入りのブラウスも血まみれだったそうだがキレイに洗ってくれて。

今回も近くと、チョット遠い家人にすごく世話になって嬉しさと済まない気持ちでいっぱいです。
オッチョコチョイを自戒します。
その事を忘れないように書き留めました。

入院前より体調良い感じだけど半月後の受診と検査の結果が判るまで少し用心します。

義母の命日2015/09/02

大好きだった義母と
今日は大好きだった義母の命日。
昭和40年9月2日 71歳だった。
今、自分の歳を考えるとあまりに若かったと口惜しい。

あの頃は70歳を越すともう老齢って感じで周囲が心配して
「一人で外出も出来ないの」
と温和な義母が珍しく不満を漏らしていたのが心に残っている。

家柄に縛られて、初恋の人を諦めさせられ意に染まない結婚をし、難しい舅、姑の最後を看取り、その1年後には敗戦の直後に夫も病気で亡くなった。

私はその5年後に知人の紹介のお見合いで自宅に伺い、初めて義母に会った。
何だかお互いに魅き合うものが有ったみたい。

縁が有って結婚してからも終生可愛がって頂いたし、私も大好きだった。
娘時代からの話をイッパイ聞かせてくださった。

気になっていた息子の結婚を見届けて義母は東京で新生活に。
幸せな晩年でした。
私達も東京転勤で、よく行き来していた当時が懐かしいです。

古いアルバムから結婚したばかりの頃の写真を久し振りに沁みじみと眺めました。
せめて今の私の歳を越すまで元気で居て欲しかったな。
桔梗の花がお好きだったので〜。

退院後の日々2015/09/03

久し振りの青空
退院後もう3日目だ。

8月最後の日の夕刻に家人の車に乗せて貰って我が家に帰った時はたった10日間だったのに浦島気分だった。

入院した日に家人が必要な下着、タオル類やその他をなどなどを捜して名前を書いて持って来てくれた。
改めて世話になった事に感謝。
これからはしっかり整理して置かなくては!

積み上げられた新聞と広告の山に溜め息、中に大事なモノが紛れてないか見直す。

不在連絡票で家人にカード渡して取って来てもらったら嬉しい洋菓子、早速転んだ日に新調したコーヒーミルであの前日にお土産に貰ったコーヒー豆を挽いて家人とともに・・・
本当に家に帰った実感が湧きました。

独りになって退院報告の電話とメール、結局寝たのは12時過ぎで馴れたベッドでぐっすり。

「9月1日(火)」
今回の教訓が身に沁みて、違った視線から家の片付けを始める。
おざなりにしていた入院グッズのケースをちゃんと入れ直す。
根が臆病だから病院の先生に
「もう大丈夫、普通の生活を・・」
とお墨付きなのに、傷口が少し痛いななんて用心しながらの生活だ。

10日間、不意に日常生活が途切れると予想以上に迷惑をおかけしたり困る事が多い事を実感する。
この歳になれば尚更だ。

「9月2日(水)」
退院後、初めて一人で外出。

午後、歩いて数分のホームドクターのところへ報告を兼ねて伺う。
皮膚科の先生にも傷口を診て頂いて問題なしで安心。
「シャンプーしたほうが消毒にもなって良いようですよ」
抜糸の時もその後も消毒や塗り薬は一切無しだった。
内科のドクターも笑いながら
「大変だったね。 でも好かった〜」
って月一の何時ものお薬を早めに出してくださった。

夜、抜糸翌日に看護の方にシャワーして頂いて以来、5日振りに全身を洗う。 
浴槽に浸かったのは半月振りくらいかな。
伸び伸びと生き返った気分になる。
おかげで熟睡出来ました。

「9月3日(木)」
もう大丈夫そうですが、15日の入院していた病院の再診までは用心して無理はしないでおこうと思います。

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病中、沢山の温かいコメントを頂いて本当に嬉しく、勇気と元気を頂きました。
個々の方々にお礼の書き込みが出来なくて申し訳ないですがお許しください。
皆さま、ほんとうに有り難うございました!
ブログやってて良かったです。

近日中に通常のグログの戻れると思いますが今日は自戒の為の自分記録でした。

添付写真は退院した日の久々の青空、白い雲がHに見えて勝手に
HAPPYと祝福してくれたような想いに〜

地域の広報誌に載せて頂く2015/09/04

地元の広報誌に
入院中に気になっていたことがある。
まだ夏の暑い頃に地元の広報誌の取材を受けた。
週に一回発行の小さな新聞みたいなのだが地域の情報が出てるので観てられる方は多い。
この9月で発刊30年とあって歴史の重みをあらためて感じた。

お若い女性の編集者さんが、いらしてくださって楽しくお話しが弾み、2回目には公園のお山の頂上でスケッチしてるとこなどをビデオで撮ってくださった。

その時の記事を掲載してくださるのが8月の第4週と伺っていた。
「その日にはブログに載せさせてね」
ってお願いしてたのに〜。

土曜日の夕方、退院帰宅したら家人が取り込んでおいてくれた新聞と広告と郵便物の山に溜め息が出る。
詳しく分類する前に取り敢えず帰宅報告の電話をしてご心配とご迷惑を掛けたかもしれないお詫びをする。

遅くなってしまいましたが「もしもし新聞」に掲載して頂いた紙面を添付しました。
虫眼鏡ででも讀んでくださると嬉しいです。

遣りたいことイッパイでうずうずしてますが、読書も暫く我慢して家事に専念、大人しくしてます。

嬉しい土曜日2015/09/05

サルビア
退院後初めての土曜日、ちょっと遠くの家人が訪ねて来てくれた。
全快祝いにと私の大好きなお赤飯とご馳走をイッパイ拵えて。
久々に食欲満開、美味しくて幸せ感いっぱいでした。

パソコンに詳しい彼には、引っ掛かってた小さな疑問だけど次に進めなくて困ってた事を教えて貰う。
楽しくて有意義な時間を過ごしてもう全快した気分です。

でも もう暫くだけ自重しよう。
ちょっと立ち止まって、良い反省の機会でした。

88歳になって体力も記憶力も衰えたと自覚するけれど、日々笑顔で暮らせる今に感謝し、今私に出来る事を考えよう。

午前中に済ませたい用事で近くまで出掛けたら、広場の花壇のサルビアの花が満開。
華やかな赤に元気貰いました。