阪神淡路大震災ら20年2015/01/17

あれから20年
阪神淡路大震災、あれから20年が経った。

あの日、ベッドの中で微かな揺れを感じたと思う。
ネットを開いたら会議室のメンバーの静岡の方が、地震で目が覚めたことを書かれていた。
その後すぐにTVで惨事を知って茫然となる。

東京大震災の60年周期を憂慮して準備もしていたが、まさか阪神間がと信じ難い思いだった。
兄の一家や、女学校のクラスメート達の安否も心配だった。

兄の家の無事を知らされたのは何日後だったかしら。
断水になってポリタンクを送って欲しいとのことで、直ぐに幾つか郵送しようとしたが何日掛かるか保証出来ないと云われた。
事実届けられた時はもうその必要が無くなってからだったようだ。

仲良し3人組だった友人の家も通り一つ隔てて無事だったと聞いてほっとする。
暫くしてクラスメートがご主人とともに落ちて来た天井で亡くなったと聞いて可愛かった少女時代の面影が脳裏から離れなかった。
その頃憧れていた英語の先生も亡くなられたと後で聞く。

阪神間にずっと暮らしていたクラスメートは、戦争時の学徒動員で苦楽をともにし、大震災でまた助け合って絆は固いようだ。
今でも月に一度は宝塚でクラス会をしてて「おいでよ!」と誘ってくれるが行く元気がないのが情けない。

震災後3年程して、健在だった姉と兄と一緒に、昔住んでいた場所や元町を訪ね、六甲山をドライブした時は仮設も残っていたが普通の街に見えた。
でもあれだけ多数の方々が亡くなられた哀しい傷跡は消えることはないだろう。

20年経ったかと感無量だ。
兄も姉も、クラスメートも随分亡くなってしまった。

コメント

_ うさこ ― 2015/01/17 20:51

今日は 阪神大震災から20年。朝 5時46分・・・
黙とうを1分間。本当に大変なことでした。
あの時、私は 子供の お弁当を作っていました。
朝ストーブを つけていたので 慌てて消しました。
マンションの4階で かなりの揺れを感じました。
主人も慌てて タンスを押さえていました。
経験したことが無い揺れでした。
阪神に住んでみえた方は大変怖い思いをされた事でしょう。
亡くなられた方たちのご冥福をお祈りします。

_ みー ― 2015/01/17 23:58

あれから20年…今でも映像を見るのは辛くてみれないのです。東北の津波も 原発も…耐えれなことが次々おこる。 でも生きていかなければならない。本当に大変な事 でもみんな生きていく 生きていかなければなりません。

_ やよい ― 2015/01/18 01:55

ほんとうに、あれから20年、テレビで知ったのは、まだまだ辛い
傷跡を抱えて、それでも懸命に前向きに生きていらっしゃる方達の多い事です。  私もあの時、大阪に住む姉と、宝塚市に住む姪と、なかなか連絡が取れず、やっと電話が通じた知り合いに頼んで、あちこち手を打ってもらい、2日目に無事が分かった時は、
全身の力が抜けたみたいでした。 

少し落ち着いてから、宝塚市に行ってみました。宝塚の、あの有名な「花の道」に亀裂が入ってました。

今なら、災害伝言板など、いろいろ方法はとれるのでしょうね。

あの後、マイセンやウエッジウッドなど、好きで集めていた物の大半が割れてしまった姪は、今は、残った皿やカップなど、惜しげもなく日常に使っています。

災害は、いつやって来るかわからない。心しなくては!!

_ ユキツバキ ― 2015/01/18 07:33

 あの冬はオウム事件もあり、被災者でなくても、心が重たくなった年です。ましてや、大事な方を突然失った人たちは、いつまでも瞳の奥に絶望をひそめているのでは・・。
 あれ以後も、中越・福岡・そして東日本や栄村・最近は長野・・。 自然災害が相次ぎます。
 生かされている奇跡を思います。

_ さわ ― 2015/01/18 08:28

美海さんおはようございます

あの震災から20年たったのですね
あの日いつものように朝NHKテレビをつけると
何だか異様な光景に最初そこが日本なのか外国なのか
分からなかったです
やっと神戸とわかりあまりの衝撃的な映像に
唖然としました
私が徳島にいた若いころよく神戸に遊びに行っていました
20年といえど遺族の方にとっては悲しみは続いて
いくことでしょうね

美海さんは阪神のご出身なのであの当時はさぞかしご心配
なさったことでしょうね

_ アスカ ― 2015/01/18 09:07

神戸出張所(元町通りの南・栄町通り)にS53年から2年間勤務しました。
元町界隈が好きで、地震で壊れた様子を見るのが辛く、3年間ほど神戸へ行くのをためらいました。幸い社員に死傷者が、なかったことが慰めでした。

_ 三浦 ― 2015/01/18 09:52

朝方ゆれで目を覚ました。ゆったりした揺れなので遠くで大きな地震が起きたんだと思いTVを付けました。あんな大災害になるとは
火事の画面が延々と続き怖かった。
報道のヘリが埋まった被災者の声を掻き消した
阪神淡路の地震は火事を鮮明に覚えている
東北地震は、延々と仙台空港の津波を伝えていた。
その中には従弟のトラックもあったけれど逃げたそうな
まだ消息がわからない親戚もいる
とにかく地鳴りが怖かった  みんなトラウマです
TVでは政府の人がずっと出ていて、この人過労死をするのではないかと、家族一同心配しました。情報を伝えてくれるのはとてもありがたかった、名前忘れてしまった今もお元気です。

_ カメキチ ― 2015/01/18 10:07

早いものですね。
阪神淡路大震災から早や20年。
私は、会社の同僚であった友人を亡くしました。
震災の3年ほど前に三宮の理容学園の学長さんの家に養子に入りました。
震災後連絡が取れずにいた所、数日後新聞の震災死亡者欄に彼の名前を発見して大変なショックを受けました。
今もその時のことが思い起こされて胸が痛みます。
20年後の今日、心から友人のご冥福をお祈りしています。

_ キタアカリ ― 2015/01/18 13:11

テレビで当時の様子が何度も放送されて
改めて災害の恐さを思い知らされました。
どんなに科学が発展しても自然の力には勝てない
ものですね。
当時、生まれた子は成人とは時の流れを感じます。
忘れてはいけないことです。

_ mon ― 2015/01/18 14:39

神戸地震後、三宮付近に行きました。町並みを見て
復旧の早いのに、神戸市民(日本国民)の力強さに驚いた
ことが有りました。
「86歳ブロガーの~」は当地の市図書館に蔵書されていました。文字のポイント・行数・トピックス・著述・短文 etc
読みやすく、1気に進みました。
活字で読むのは、blogとは味わいが違います。
美海さんの創作力に感嘆します。
アクセスの皆さんにご1読をお勧めします!

_ 美海 ― 2015/01/18 20:01

うさこさん
怖かったでしょ!
でも被害がなくて良かったですね。
6000名以上の方々が亡くなられ殆どは家屋の倒壊によるものと聞きました。
哀し過ぎます。懐かしい穏やかだった故郷でしたのに。
今も心の傷が癒されない方も多いことでしょう。
ご冥福を祈ります。

_ 美海 ― 2015/01/18 20:13

みーさん
ほんとうに辛いですね。
天災は仕方がないけれどそれに耐える構造の都市に! 
と心から願います。
多くの方々の痛みを分かち合いながら生きたいです。

_ 美海 ― 2015/01/18 20:22

やよいさん
ほんと、私も無事の連絡が取れるまでは心配で堪りませんでした。
宝塚のあの懐かしい「花の道」にも亀裂が入ってたのですか!
マイセンやウエッジウッドなど大半壊れたって悲しいですね。
姪御さんのお気持ち解ります!

_ 美海 ― 2015/01/18 20:31

ユキツバキさん
オウム事件もショックでしたね。
知人の通勤経路だったので随分心配しました!
何時何所で何が起こるか判らない。
平穏な日々を感謝しつつ、痛みを分かち合いたいです。」

_ 美海 ― 2015/01/18 20:41

さわさん
もう20年経ったのかと感慨深かったです。
あの時亡くなったクラスメートより20年も長生きしているのですもの。
不慮の事故や災害で身内を亡くされた方の哀しみは特別で消えることはないのでしょうね。
故郷なので身内や友人の無事が判るまで本当に心配でした。

_ 美海 ― 2015/01/18 20:53

アスカさん
神戸に居られたことがあるのですね!
私は子どもの頃の鈴蘭灯の並んだ元町が大好きでした。 珍しい舶来品のお店があったりして。
社員の方々、ご無事で良かったですね!

_ 美海 ― 2015/01/18 21:07

三浦さん
私は当時、関東大震災の周期ばかりを心配してて故郷の神戸に何時かは帰りたいなどと秘かに考えていました。
まさかあのような大地震が起こって多くの方が亡くなるなんて・・・。

東北地震では身内の方が被害に遭われたのですね。
何時何が起こるか判らない。
皆で出来ることをしながら助け合って行かねばと思います。

_ 美海 ― 2015/01/18 21:17

カメキチさん
友人をなくされて嘸ショックでいらしたでしょう。
私も幼馴染みの死を聞いて本当に悲しかったです。
あれから20年も経ったことに複雑な気持ちで彼女を偲びました。

_ 美海 ― 2015/01/18 21:21

キタアカリさん
同感です。
20年、ついこの間のことのように感じていたのに生まれた赤ちゃんが成人式を迎える年月が経ったのですね。
感無量です。

_ 美海 ― 2015/01/18 21:35

mon さん
私は3年後に訪ねて表面的には殆ど復旧して見えて驚き感心しました。

本、讀んでくださったのですね。
有り難うございます!
ホメて戴いて恥ずかしいけれど嬉しいです。
活字大きくは読み易くしてくださった幻冬舍さんに感謝してます。 本にしてくださったこと自体私には思い掛けない嬉しいことでした。
これも長生きしたご褒美かなと思っています。

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