台風通過2014/10/06

台風一過の秋空
台風が気になって起き抜けに先ずTVを観る。
浜松あたりに上陸したらしいが大丈夫かなと気になった。

こちらは雨は降っているが風もなく静かだ。
予定していた講座は昨夕に中止のお電話を頂いていたので、読書にあてようと昨晩から読みかけていた続きを。

「零戦 その誕生と栄光の記録」 堀越二郎 角川文庫
ご本人は1903〜1982 もう亡くなられたが1970年に光文社から出版されたのを平成24年に角川書店が発行。
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」がきっかけになったのだろうか。

ベッドに横になって夢中になって讀む。
お行儀が悪いけれど椅子は腰に好くないと注意されてるので。

私が零戦に魅かれたのは女学生になったてからだと思うけれど、計画が始ったのは昭和12年10月6日とある。
私は10歳だった。

小学生の低学年の頃、図画の時間に男の子は競って飛行機をクレヨンで描いていたが複葉機を前から見たものばかりだった。

父が毎月、私のために「子どもの科学」をお土産に買ってきてくれて往診鞄から出して渡してくれるのが嬉しかった。
父と共通の趣味だったのは私だけだったのか炬燵で話し合ってると母が「また夢みたいなことを」とよく笑っていたな。

飛行機の話や簡単な設計図も出ていたように思う。
零戦は戦闘機と云う事に関係なく、ただ新しい美しさに魅せられた。
今では判らない心境だけど。
飛行機自体が憧れだった時代だったのだろう。

「風立ちぬ」を観た時、あの頃の情熱が伝わってきて懐かしかった。

丁度半分讀んだ所でお昼になり、バルコニーに出ると青空が広がり秋雲が筋を引いていた。
TVでは関東各地の被害を写していて大変だったようだが大丈夫だったかしら。

「零戦」の本は後半が辛い思いになりそう。
でも これまで知らなかった事を沢山教えて貰いました。

コメント

_ 佳乃 ― 2014/10/07 02:01

昨年、小学生の子供を連れて「風立ちぬ」を映画館で観ました。宮崎さんの映画は必ず封切り館で観ていますので、いつものように子供もつれて行ったのですが、観客の方は年配の方がほとんどでした。
映画の中のセリフ、「私はただ美しい飛行機を作りたかっただけ」が、朝の連ドラの「花子とアン」のはなの恩師の言葉「飛行機はそれを使うものによって良いものにも悪いものにもなる」とリンクしているように思われました。悲しい言葉です。
今の大学生の中には「えっ?アメリカと日本が戦争したことがあるの?そして、どっちが勝ったの?」と言うような人もいるそうです。
私の年代では、学生の頃、アメリカ映画を観て、アメリカの戦闘機F15をカッコ良い、と絶賛していた者が当たり前のようにいます。
私は、子供には事実をちゃんと教えているつもりですが、
20年後、私の子供が家庭を持つ頃にはきっと戦争の記憶も薄れている事でしょう。
そのころに過ちを繰り返さないでほしい、ただただ願うばかりです。

_ EPOM ― 2014/10/07 08:23

美海さん
人は紙一重で生かされているのですね
若輩ながら多読と両親が明治生まれだったおかげで
気付かされることが多いです。
「風立ちぬ いざ生きめやも」
私の敬愛する先生からの言葉でした
それなのに「風立ちぬ・・・どうしょう・・・」
その繰り返しです。
読書家の作家の本が良いと知りましたので
心がけて読んでいこうと思います。

_ 美海 ― 2014/10/07 09:17

佳乃さん
映画館で宮崎駿の作品を観るのは初めてでした。
(TVでは同じのを何回も観ますが)
零戦が懐かしかったからです。
恋愛の話は付け足しのように感じましたが終わった後で後ろの席の女子高生の一人が泣きじゃくっていて時代の差を痛感。
戦闘機であったことのへの複雑な想いが今度の本を讀んで更に深く心に突き刺さります。

_ 美海 ― 2014/10/07 09:48

EPOMさん
堀越二郎氏の本を讀んであらためて零戦開発に掛けた情熱と並々ならぬ苦労を知りました。
それが戦争の武器、当然人をも殺傷するのが目的で、最後は特攻隊に使用された事を思うと悲しいです。
いまだから強くそう思うのでしょう。
女学生のときの夏休みの自由課題に科学雑誌の付録についてた零戦の設計図を書き写し、ヒゴを組み立てて薄い布を張り1メートル程の模型を作りました。
ただ新しい美しさと作る喜びだけで。
ほろ苦い想い出です。

_ 京子 ― 2014/10/12 17:05

先日は堀越二郎と零戦への暖かいお言葉をありがとうございました。
零戦というものの名前ぐらいしか知りませんでしたので、当時の一般の方たちにも広く知られた飛行機だったということは、「風立ちぬ」がきっかけではじめて知りました。
零戦は、飛行機好きの少女の心にもとまっていたんですね。

_ 美海 ― 2014/10/13 00:19

京子さん
亡き夫も戦時中、航空工学を専攻していて卒業前に終戦になり好きな道には進めませんでした。
堀越二郎さまの飛行機に掛けられた情熱を羨ましく思いました。
あの頃、男の子は夢中でしたが女の子で模型まで作ったのはチョット変ってたみたいです(^^;

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