懐かしい絵の想い出2013/02/20

華やぐ
先日、友人との電話で中原淳一の話が出た。
生誕100周年記念中原淳一展が日本橋三越で開催されてるから
「懐かしいから観に行きたいね」
と言ったのに、もう終ってしまって残念だった。
しかし想い出の中に残っている映像を壊したくない気持ちも少しあったかもしれない。

私達世代は「少女の友」と「宝塚」の世界に憧れて育った。
そして「少女の友」は中原淳一の絵で溢れていた。
毎月、本屋さんが配達してくれたのは、姉に「少女の友」、兄に「少年倶楽部」私には「こどもの友」。
私が小学生になると「少女倶楽部」に変り、3年ほどすると姉が「新女苑」に変えて私が「少女の友」を引き継いだ。
一応所有者は決めてあったが讀む優先順位だけで全員で讀みまわしていたのだ。
母は姉と相談しながら「少女の友」の付録の中原淳一のスタイルブックと同じ模様の生地を買って私達のために洋服を仕立ててくれた。
作っている母が一番楽しそうだったな。

宝塚のトップスターだった男役の葦原邦子と結婚したときは吃驚した。
昭和初期のハイカラで夢に溢れ穏やかな日々も私が物心ついてから十年あまりしか続かなかった。
女学生になってからだったと思うが、「少女の友」の表紙絵が突然変り中身にも中原淳一の絵も記事も見られなくなった。
編集部からの「時局にふさわしくないから・・」という意味の素っ気ない文が載っていた記憶が有る。
それ以来、少女雑誌とは決別した。

女の子らしいことに殆ど興味がなかったのに中年になって人形創りに夢中になり、絵を描けばカワイイ顔に拘るのは子どもの頃好きだった彼の数々の絵の影響かも知れない。