逆立ちの思い出2011/02/19

木彫の馬
昨日山の話をしていて六甲山頂の別荘にお呼ばれしたときのことを思いだした。
あれは3歳違いの兄が中学校の入学試験に合格した時だった。
一緒に受けた級友が抜群の成績で合格したのだが身体が弱く、学校側の配慮で1年間身体を鍛えて来年入学を認めるという。
昔は公立の中学校にもそういう制度があったらしい。

親も了承して、これから思いっきり遊ぼうと別荘でパーティーを開き友達や家族を招待して下さったのだ。
私の友達も何人か呼ばれていて一緒に楽しみにしていた。
パーティの前日兄がこっそり私に真剣な顔で
「明日 皆の前で逆立ちなんか絶対するなよ」
「うん」
と頷いたが内心そんなことする訳ないのに変なのぉ。

その頃の小学生の女の子は横周りで逆立ち回転したり廊下の壁に向かって逆立ちして遊んだ。
次の段階は頭をつけての今で言う三点倒立、ここまでは簡単だったが私の目標は高学年の男子がやってる逆立ちして歩くことだった。 
これは腕力の弱い女の子には難しい。3〜4歩が限界だった。
なんで夢中になったのか不思議だが逆立ちして眺める景色は妙に新鮮だったな。
可愛がってくださった担任の先生が体操の時間に特別に肋木の天辺で私の逆立ちを支えてくださった時に見た校舎や運動場の光景を思い出す。
この先生は前にも書いたが軍人が本職で太平洋戦争が始まった途端勇躍前線で先頭に立って切り込み戦死された。
豪快なことが好きで、校舎の屋上のコンクリートの手すりの上で逆立ちしかけたのを小学3年生の生徒が皆ですがりついて必死になってとめたことがある。
何か自由で生き生きしていた面も有った時代だ。

さて パーティの当日、子ども達は大人のお喋りから抜けて起伏のある芝生の見られない場所に集まって遊んでいるうちに級友が
「この人逆立ち上手なのよ」
と紹介して 皆が口々に見せてよということになってしまった。
どこからも見えないことを確かめてやってしまったように思う。
厳重に口止めして兄に知られないことを祈った。

上級生になるにつれて逆立ち熱は覚め、鉄棒に脚を掛け逆さまにぶらさがって回転し、はずみをつけて着地するのを競ったりして生傷は絶えなかったが小学校の休み時間は楽しいことがいっぱいだった。