山と私2011/02/18

連山
朝早くビルの遥か彼方の山々が雲の上に頭を出していて思わず望遠で撮った。
関西に育った私には山はいつもすぐ傍に見える親しい存在だった。
東京に移って来て山が遠いのが心細くて淋しく馴れるのに暫く掛かった。

18歳まで過ごした地では六甲山を朝夕眺め、ケーブルカーやロープーウェーで気軽に遊びに行き、時には歩いての登山を楽しんだ裏庭の様な存在だった。 山頂はゴルフ場の他にも住宅や別荘で街のよう、広い芝生の広がる別荘に級友と親子連れで招待されたり、教会の先生に連れられて独り暮らしの老婦人の家々を花束を持ってお見舞いしたことも遠い想い出だ。

京都となるともう山に取り囲まれていて大文字は夏の風物詩だった。
なかでも一番親しかったのは比叡山、四季折々の詩情に浸った。
濃い緑の杉木立、重厚な寺院の数々を通って琵琶湖の景色が眼下に広がると何度来ても感激だった。

中国山脈の真ん中の父の本家に行くのも好きだったな。
山は生活の一部の様なもの、お墓も山の中腹にあったし、山の樹は一生(50年?)一回だけ伐採して出荷すると父に聞いたように思う。

遠い山並みを眺めながら久しぶりに昔は身近かに親しんだ山々のことを思い出していた。
ついでだが 関西の山々は丸くて穏やかだ。東にくるほどに鋭角になり人を寄せ付けない毅然とした厳しさを感じてそれも魅力的なのだが、母の懐に抱かれる様な優しい西国の山並みは癒される。

コメント

_ 真理 ― 2011/02/19 00:18

記憶の中の山々はお描きにならないのですか?
今日は美海さんの今までの作品をずっと見せていただきました。やっぱり素晴らしいです。色彩がとてもきれいでこれまでの人生とお人柄を想像いたします。

_ 美海 ― 2011/02/19 12:33

真理さん 有難うございます
昔の作品を引っ張りだして来たりで恥ずかしいです
が私の中では下手でも懐かしいです。
思い出の情景が描けるといいんだけど目の前にないもの描くって難しいですね。
そのうち描いてみたいな。

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