終戦を迎えた家2011/02/09

疎開先にはこんな情景も
姉が嫁ぎ兄と私が進学して家を離れて母は淋しくなったとこぼしていたそうだ。
戦況は益々悪くなり広い庭には花々の代わりにカボチャなどが植えられた。 兄が出征した後、父が地方の小さな町の軍需工場の敷地に新しく建てられた病院に転勤になった。
都会好きの父だったが疎開を兼ねて受けたのかもしれない。

土地の有力者の別宅を借りて引っ越した。裏は一面の田圃が広がっていて殆どが農家だ。
家は京都の町家風で玄関の引き戸を開けると裏まで広い土間が続いていて途中に幾つか格子戸がある。
最後に台所、流しと大きなお釜や大鍋がかけられる竈が3つ並んでいた。 板の間にはテレビの旧家で出てくる様な大きな食器棚が作り付けられていた。
座敷から眺める中庭も真ん中に井戸もあり植木も整っている。

疎開と聞いて寮から帰ってみて、こんな立派な普請の家に住むのは初めてだと感心した。
新築も新築、二階は内装がまだ出来ていなくてガランと空いていたが それがまた楽しくて学徒動員で通っていた工場が被爆して自宅待機になってからはその2階に机を置いて広い勉強部屋にしたものだ。

学校を卒業して結婚するまで住んだこの家の思い出もいっぱいあって一回には書き切れない。