昭和初期のお正月の遊び2010/01/02

お正月の遊び 

TVも携帯もゲーム器もなかったお正月休み、子ども達は専ら空き地や道路で遊んでいた。
羽子板は押し絵のついた立派なのは飾り用で、遊ぶのは粗末な木の板に女の子の顔が印刷された簡単なものだった。 家の前の道路で打ちっこする。 ムクロジの黒い種に羽をつけたのを打ち上げると空中で舞うのが優雅だった。 負けると顔に墨汁で髭や○など書かれて大笑いした。

凧揚げは兄貴に付いて行ってちょっとした丘の上で手伝わされた。 ぐんぐん空高く揚がると爽快な気分! 糸が足りなくなると買いに走らされたものだ。 女の子の遊びより好きだったな。

夜はトランプのババ抜きや七並べ、百人一首の読み札で坊主めくりなど。
小学生になると本格的な百人一首で遊んだ。
読み手は父に決まっていた。 取り札は変体仮名で歌の意味はさっぱり解らなかったが、それでも十八番の札を手元に置いて頑張った。
その頃好きだったのは
「立わかれ・・・・・・   まつとしきかば・・・・・」
「たれをかも・・・・・・  まつもむかしの・・・・・」
「あわぢしま・・・・・   いくよねざめぬ・・・・・」
「大江山・・・・・・・   まだふみもみず・・・・・」
「あまつかぜ・・・・・   をとめのすがた・・・・・」
などなど  ひとに取られると悔しかった。末っ子はいつもビリだった。

後年久保田正文著「百人一首の世界」を読んで歌の意味と背景を知って興深かった。
論語じゃないけど、意味が分からなくても覚えるのはいいことだったと思う。